卒業生インタビュー!
学生が気になる卒業生・修了生にインタビューしました。
仕事場に訪れいろいろ質問しています。
陶磁
金工
漆・木工
染織
前田 真知子 Machiko MAEDA
平成18年度 工芸科修士課程金工コース
金属工芸作家

Interviewer: 近藤智子(H24入学)
──金沢美大入学へ至る経緯は?
小さい頃より、建築仕事をしている父の影響もあって衣食住に関わる仕事に興味を持っていました。特に美術・図工の授業が大好きで、自分の手でものを作り続けていきたいという思いから、石川県立工業高校・工芸科へ進みました。進学コースを選択したため受験勉強が主体ではある中、焼き物(陶磁)・染め・漆の3つの素材に触れました。その後、伝統工芸を習うべく地元である金沢美大へ進学します。
「金沢美大時代」
ドサ回り(1年生~2年前期迄まで行われる、素材・技法体験型のワークショープ)では、金属2種(彫金・鋳金)、漆、織りの4種を選択します。細かい作業、特に江戸時代の細工もの好きが高じて、漆と彫金に魅力を感じます。そして2年生の後期に、あみだくじで彫金コースを選択しました。その当時では、どちらのコースでも良かったと言います。学部卒業後、迷わず大学院へ進学しました。2年半の学部・彫金時代はあっという間で、独立するには早すぎると捉えたためです。もうしばらく美大で技術を摘みたいという強い思いがありました。
「学生時代に思い描いていた卒業後の姿」
コツコツと物づくりを続けていきたいという思いが強く、企業へ就職するイメージはありませんでした。アルバイトでお金を貯めてドイツやイタリアに渡り、ジュエリーの勉強をしたいという淡い思いがあったためでもあります。伝統工芸へのこだわりもなく、クラフト系の商品を手掛けていきたいと考えたこともあるといいます。ただし今思えば、企業へ就職する経験はしておきたかったと言います。
──卒業後から今の仕事に至る経緯?
卒業から5年間は、モノづくりは続けたい思いはあるものの、これから歩むべき方向性が定まらず、自身にとって少々つらいと思う期間でありました。そんな中、美大でのドサ回りのアシスタントを非常勤講師の村上先生から引き継ぎ、宗桂会にも携わるようになります。大学で学生に直接教指導する立場として学生に接っしている中で、作品を創らねば!という負い目を感じるようになりました。十分にバイトもできないと感じていた中、仕事ができる環境は既に自宅には準備してあったので、覚悟や自信はなく、納得もしていませんでしたが、コツコツと制作活動を続けていたと言います。そんな中30歳の頃に、学生時代に続く2回目の伝統工芸展・入選を果たし、伝統工芸の作家として生きていく決意をしたと言います。 その後、自身のアトリエを新調しようと試みますが、金沢市の助成金システム(工房建設費の上限200万円)は配布地域決まっているため、採用されませんでした。しかし、金澤町屋職人工房東山を進められ、制作拠点を外に移したいと考えていたこともあり同意しました。実家に籠って制作をしていると、家族以外の人に会う機会も少なく、自分がやっていることが正しいのどうか不安になってきていたからと言います。3年間の東山滞在で、燈涼会を始めとする東山の各イベントに参加でき、公開型アトリエを通して様々な人と出会うことができ、刺激になったと言います。特に、体験型のワークショップも定期的に行うことで、金沢の工芸・金工の文化復旧・活性化が少しでも図れたのではないでしょうか。その分、自身の制作ペースが落ちたことが、唯一の欠点であると言います。昨年度より、中川先生の一言「暇やったら手伝って~」により中川先生のアトリエで制作補助なるバイトを始めます。今年の春(2016年)に金澤町屋職人工房東山を出た後は、中川先生のご厚意でご自宅のアトリエの一部をお借りし、制作活動に精を出していくと言います。真知子さんは「今できる最大が出来れば良いと思ってやっとるから。」と仰られていましたが、そのお言葉通り、今後も発展され続けていくのではないでしょうか。 ・仕事についた一番の動機 学生時代に初めて手掛けた、象嵌作品(銅に銀象嵌)の色揚げをした時の感動が印象的であり、その魅力が高じて現在の制作活動に至ると言います。その色揚げとは、銅の色が赤く変わり、銀が際立って見える煮色着色です。時間をかけて自身の手で手掛けた赤子のような作品が、化学反応によって一変し、仕上がる様子は見ものであります。
──5年後のビジョンは?
40歳人生モデルの1つとして、真知子さんのような仕事でも生きていけることを後輩に
示せるようになりたいと言います。そのためには、誰が見ても意欲的に活動をしている
作家としての姿を、まわりに見せられるようになりたいと考えているようです。
今までの制作活動では、周りのいろんな人に優しくされ、支えがあったからこそ続けて
これたと言います。特に、学生時代からお世話になっている中川先生、原先生、米田先生方
が常に引っ張ってくれている感じがあると言います。その方達への一番の恩返しは、自身が
作家として活躍している姿をみた若い世代の子供達の中から一人でも、工芸の世界を志す
学生が出てきてくれることだと捉え、今後も昇進していくと意気込みを語って下さいま
した。
──大学で学んで良かったことは?
象嵌の技術が第一に挙げられます。金沢美大に入学していなければ、自身が金属を用いて象嵌を施す仕事に至らなかったはずです。そして、卒業後から現在に至って関わっている方々はほぼ美大関係者であるとのことです。真知子さんの制作活動の始まり・原点は美大にあると言っても、過言ではありません。
──学んでおいたら良かったことは?
“実業家の人達がやっているような、マーケティングの授業”金沢美大では自らの手で作りあげることに全力を注いでいたので、その作品をどう世界にアプローチしていくかという方法を学ぶ必要があった言います。
──金沢美大の欠点や疑問は?
伝統工芸の基盤が金沢にあるということが前提で、金沢の伝統工芸の技術や知識に対する指導は十分なのかと感じることがあるようです。前田さんの学生時代のように、技術を追求したい者にとっては、作品のコンセプトを追求させられるのがしんどかったと言います。個性重視に着目したコンセプトの内に、「技術を学びたいっていう個性は認められないの?」と感じていたとも言います。現在では工芸・彫刻という垣根にはとらわれてものを観ることはありませんが、当時は技術よりもコンセプトを土台とした作品制作を行いたいのであれば、彫刻科に行くべきではと思ったこともあるようです。
──学生へのエールは?
「だいたい(大概のこと)、何とかなるもんだよ」人間は誰しも、自分にとって一番良い道を選択する能力を持っているはずなので(ある時点では失敗したように思えたとしても)、将来に不安要素を感じなくても良いと言います。その時その時を、精一杯に楽しんで入れば大丈夫であるとも言います。頑張って下さいとのお言葉を頂きました。
──私生活と仕事の環境については?
仕事とプライベートの区別を付けることは重要なことではありますが、つい
区切りがなくなってしまうと言います。彼女の制作現場は、会社員のように勤
務時間が決まっているわけではないので、自らオン・オフの切り替えを行わな
ければなりません。しかし作業が順調に進んでいる際に、仕事に区切りえをつ
けるのは難しいようです。そこで、先を見越した計画をしっかり立てることが
重要であると言います。無理なく実践できる計画、言うならば人生の計画を立
てることができれば、その日にやるべき仕事が計りやすくなるはずです。頭で
は分かっているつもりでも、いざ実践するには難しいのですが、意識を高く持
って経験を積んでいく他ないだろうとのことです。
──結婚願望は?
子供は欲しいとのお話しであったが、話題を見事に逸らされてしまいました。

